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日常カテゴリは鬱々とした暗いものが多いのでご注意をば…


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夕方のニュースでよくわけあり家族の特集とかやってますけど。
ああいうのはとても嫌いです。
今日もやってましたが。
どこの局のかは書きませんけど。

なんていうか、親は自分の生き方を子供に強制しちゃいけないと思うんだ。
「いつか大人になってわかってくれると思ってる!」
とか怒鳴りながら何言ってんだコイツ…としか。
学校で苛められてる時って、そのことを親になかなか言えないんですよね。
自分の欠点で苛められたり親のことを何か口実にされたり。
そうなると余計に。
親は知りたいんだろうから当然聞いてきますが、言えないです。
なんていうか…恥部を曝け出すような感じがして、当時はそんなこと考えてませんでしたが、小学1年とか2年だったし。
言葉って出ないものです、まるで聴取されるかのような状況で、しかも苛められてるのは自分のなはずなのに何故か親から更なる試練を受けるわけで。
怒るんですよねぇ…なんでなのでしょうか。
「言いなさい、怒らないから!」
って既にあんた怒ってるし怒鳴ってるしマジギレしてるし、要は大人な怒り方じゃないわけで怒鳴り散らしてるだけ。
自分を悪く言ってる子供やその親にイラついてるんでしょうかね?あの特集に出てきた親は。

私は苛めに合ってたとき、教師も親も助けてくれませんでした。
教師は「ふーん、それで?」と言っただけ。
親は親で「なんでそんなに相手を恐れてるのか意味不明、お前が弱い、お前が悪い」みたいなかんじでしたが。
なんか懇談会とかで「お宅の子が苛めに合っている」と言われたらしく、不機嫌で帰ってくるんですよ。
苛められてるとか、孤立してるとか、そういうことが嫌いなのかもの凄く不機嫌になって最初は静かな怒りの中で「なにがあったの?」とか聞いてきて、やっとのことで言うとやっぱり「そんなことで?」みたいな反応。
いやいや、そんなことで?って…ねぇ。
それこそこっちの台詞っていうか、苛められてる理由なんて本人が最初から解ってるわけないじゃないですか。
いや解ってる場合もあると思うけど、私の場合は気付いたら…だったんで。
挙句やっぱり怒鳴られるわけで…。
なんで学校でも家でもこんな目に遭うのかなぁとあの時は思ってましたね。
10に満たない子供にはいまから思うとなんともカオスな状況だった気もします。

私は大声が嫌いです、大嫌いです。
怒鳴り声がダメです。
震えがきます、ちょっと怒気を孕んでるだけで竦んじゃうんです。
これをどうにかしないとバイトとかできない、てかそれでバイトで苦労したことがあるんで…。
どうしたらいいんだろうと医者に相談したことも。

「お父さんは恐い人だった?」

と聞かれて、恐い人だったのだろうかと考えました。
たしかに殴られながら何時間も基礎を解っていない人間が有名私立中学受験問題とかやってましたが。
腕の痣を体育の時間に「転んだ」と言って誤魔化したこともあったなぁとか。
なんていうか普通じゃないとは思ってたけど、これが私の家なんだと考えてました。
でも、恐い人だったと思います。
殴られるというだけでも、恐いです。
ちなみに母親もキレるとけっこう凄いですが、ドレッシングの瓶で殴りかかってきたり包丁で脅してきたり。

「自分のために言ってくれてるんだと思うようにしよう。それはトレーニングだから、何年もかかるかもしれないけど」

それは、解っているんですよね。
特にバイト先の社員さんとかは当然自分のために失敗を正して怒ってくれてるわけで。
でも父親のはそう思えなかったなぁと。
ってなんか前にも同じようなこと書いた気がするなぁこの辺のこと。
あかん、自分の書いたものがよう解らなくなってる('A`)

 

ってことで嫌な番組を聞いて未だに心臓バクバクの阿呆でした。

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テンプレを変えてみました。
どっか変だったりしたら教えてくださいませ。
基礎知識とか何もないままやってるんでどっか狂ってるのは確定的に明らか。

あ、そういえば尚香で虎牢関呂布軍修羅やっとこクリア。
力武器:威力96:背水陣・一閃・あとなんだっけか…な武器でもいけた。
威力だけは十分なんだけどできれば4付加の武器欲しいなぁ。
でも合肥新城魏軍特攻は処理落ち激しくてイライラ(# ^ω^)なわけですよ。

にしても寒いですね。
昔のも細々とうpるとかいってどんくらいなんだろうか。
すいませんすいませんすいません('A`)
日付を見るとうpした詩のノートの書き出しが2002年なわけですが…。
6年前の詩かぁ。
この時自分がどんなだったかなんて思い出せないけど、なんか読んでると同じことばっかの繰り返しで、しかも真っ逆さまってかんじの内容なのばっかで。
なんかこのノートには異様にそんなのが眠っていたみたい。
いまから見るとうわあああああってのもあるけど、自分で生み出したものならやっぱりなにかの形で残したいかなとか、思ったりもするわけで。

ノートという自分だけの中じゃなくて、書いてる時はやっぱり誰かに知って欲しいというか、なにか…こう発信?したいという気にはなります。
どこかに、誰かの目に触れるところに置くことで、詩も何か別のものに生まれ変わっていくかなぁとか。
ちょっとずつ変化していくのかもしれないなぁとか。
自分だけの意味でなく、誰かの意味にもなったりしたら、それは望外の喜びなのです。

そんな風になるには足りないものが多すぎるのですが。
空しいなぁとか考えたりして。
返事のない会話はしないけれど、ひとりで何かに笑ったりはしてる。
共有できる人は、いない。
泣くこともあったけど、どうでもいいかな。

中学の時、このくらいで死ぬんだと思ってました。
だってどう考えても大学生の自分とか全然頭に浮かばなかったし、子供がいるとか、ましてや男の人と付き合うとか、自分がそんな風になってるってのがなんだか気持ち悪い気がして。
そんなのは相応しくない気がして。

先がないのは即ち死、ではないのだろうか。
無いってことは"無"なのだから希望も絶望も無い。
だから死ってことじゃないのかなぁ。
生きてるってなんだろう。
なんだろう。

緊張の糸が切れたみたいにだらけてます。
またなんとも眠い日々が続いているのです。
身体がだるい。
なにもしたくない。

母が手を怪我したので一ヶ月、家事を全部引き受けていたのですが。
最近よくなってきたので段々分担するようになり。
治ってくるとやっぱり自分でやりたいのか、私がやってるともたつくので苛々するのかすぐ行動しはじめるので、私のやることが減っていくのです。
張り詰めていたものが一気に緩んだかんじ。
維持できないんですよ、集中を。
気分にムラがあるというか、なんなのですかねぇこれは。
頭がぼーっとします。
目の前に見えているものが本物なのかどうなのかわからないんです。
現実ってどこにあるのかなぁ。



material by 青の朝陽と黄の柘榴

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