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日常カテゴリは鬱々とした暗いものが多いのでご注意をば…


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対人関係に悩むようになったのは小学生の低学年でした。
友達ができなかった、理由がわからないけど多数の女子からいじめにあった。
そんなことが続いた。
中学に行ったら今度は何故か「ホモ」と呼ばれ男子から嫌がらせを受けた。
机に水をぶち撒かれチョークの粉を撒き散らされ、そして丁寧に花瓶も添えられていた。
高校ではそういうことはありませんでした。
ただひとつの失敗はやはり部活に入ったことでしょうか。
ぶっちゃけて言ってしまえば、世界の狭い、頭の螺子がどうにかなってる人たちの集まりでした。
私が1年だった時の部長は何も言わずただ機嫌を悪くし、それを同学年の人たちが察して後輩に注意する。
「部長が機嫌悪いから、早くこれ片付けて。動きが遅いんだよ」

馬鹿ですか?

注意したいことがあるなら直接言えよとwww
どんだけ偉いんだよお前。
そして顧問の言うことが全て正しく、神のように崇めて、その人が別の学校に移り後任の先生がきてもやり方を変えようともしなかった。
それはとても失礼なことのように思えたし、実際新しい顧問はやりにくそうだった。
多数の人間の意見が全てに優先し、少しでもその意にそぐわない意見が出ると全力で排除しだし、ミーティングwwwwwとか言い出して問題児をどうするかみたいなことを話し出す。
度胸をつけるためにひとりでも周りに人がいても声だして体操しろ!それが度胸をつけることになるんだ!


( ゚Д゚)ぽかーん


なんていうか、声だしして体操するのって、大人数でタイミング合わせるためだよね?いや、そんなこと考えたこともないのでわからんけどwww
羞恥心を乗り越えた先に揺ぎ無く強い精神力を得られると思うのなら裸で街走ればいいと思うよwww
そんなことしなきゃ試合で記録出せないならいっそ練習なんかしないでずっと街中で愛でも叫んでればいいじゃない。
と思ったので私はやらなかった。
どう考えても意味がない気がした。
それにこれは「声出しするのっていいことだと思う」と誰かが言っただけで、決定されたことじゃなかった。
いままではミーティングwwwwwでそういうことを決定してから実践させてたんですが。
いつの間にか、ていうか先輩がやり始めると後輩は続かないといけないというのがありますよね、雰囲気的に。
でだ、やらない私に同学年の部長(だったかわからないw名前もうろ覚えw)が、「なんでお前やらねぇの?バカじゃねーの?(←この辺は含みがあったかなってw)」と言われ、私は意味を見出せないこと、決定事項ではないからということを伝えたが「はぁ???」とか言われてしまった。
それから全力で男子と敵対?というか、まぁ空気悪くなりました。
そんなことばっかしてるから対人関係破綻していくんだなぁ………。

一番記憶に残ってるのは祖母が倒れた時のこと。
いまでもなんとか病院に通いながら命をつないでいる祖母ですが、その時は本当に危なくて「もう最後かもしれないから…、今度の土曜日は部活を休んでお見舞いに行きなさい」と母親に言われたのでした。
祖母はわたしにとってずっとずっと生きていて欲しい人なのです。
倒れたのは知ってたけどそこまで悪かったとは思わずに、私は土曜日の二日前に
神の顧問に土曜日はそういう理由で練習を休ませてもらえないかと頼んだ(ていうかまず顧問のご機嫌を伺わないと休めない部活って一体なんなんだろうか…)。
実は二週間後くらいに試合を控えていた。
それは解っていたけれど、祖母にどうしても会いたかった。
そろそろ調整に入らなければいけない時期なのは解っていたけど、だからって私は部活をとるほど部活命ではなかった。
よく役者は親の死に目には会えないとかいうけど、部活っていうのはそういうものとは違うだろう、と。
もちろんやりたくて入ってるわけだけど、私は自分の試合での記録よりも祖母の命の方が大事だった。
当然のように神の顧問は機嫌を悪くし、「お前試合前だって自覚あるか?」と言われた。
「あります」と私は言った。
「けれど猶予はあまりないかもと医者が言っていますし、会いに行く機会は土曜日くらいしかないんです。それでも休ませていただけないんですか?」と言った。
そもそも高校の部活動っていうのは放課後を有意義に過ごすためのものであって、なんていうかここまで必死になるもんなのかっていう…。
まぁ、必死な学校は山ほどありますが、全国大会とかに出ている人たちはそうでしょう。
うちも例に漏れずそういう学校でした。
何度か出た全国大会を目指していた学校でした。
でも、中にはそういうことを目指していない人間もいたっていいと思うんですよね。
そもそも実力がそこまで私はなくて、実力がある人たちについていくことなどできませんでした。
どうして強制なんだろう。
どうして出る競技まで制限されるんだろう。
入ったら辞めるのは罪というルールみたいなのもあって、辞められませんでした。

まぁ結局、土曜日は休ませてもらったわけですが、そんなこともあってその後の顧問の態度のまぁ冷たいというかなんというか…。
嫌われてましたね、私は明らかにあの中では異質というか、考え方が合わなかったので。
でも全国大会に出たことのある部だというのを知ってて入ったのは私ですし、仕方ないですよね、自分が悪いのです。

疲れきってました。
練習に疲れて、毎日先輩後輩同輩の視線と言葉、顧問の機嫌を気にしながら朝から夕方までを過ごす。
これは当たり前というか、人と接するなら当然誰でも経験することなのでしょうが、私には重過ぎました。
高校を卒業した時には糸が切れたみたいになってました。



切れた糸は繋がらないまま、いまもずっと垂れ下がってます。
人が恐い。
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material by 青の朝陽と黄の柘榴

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